日常、宝探し隊員!

重なり合うところ その2

誰かが作ったもの、
それを見たり、聞いたり、読んだりすると
その作品自体の特殊な事柄を通して
全くの他人に、身近なものに重ねて
同じことを見せたり、思わせてくれることがあります。
それが、普遍性がある、、、ということだと思います。

例えば、以前Blogにも書いた通り
上田義彦さんの写真集は、
上田家の超プライベートな家族写真だけれど
忘れていた私自身の家庭の日常のひとこまを
思い出して重ねてみることができるんです。

作品を通して、私たちフツーのひとに
それぞれの個人的な映像やイメージを
思い描かせてくれるかどうか
他人に普遍的に作用する
それが芸術なんだと思います。

小説にしても
落語にしても
写真にしても
絵画にしても
歌にしても・・・

素晴らしいものは
表現者が個人的なことを表現して
それが、他の人自身の頭の中に
個人的な映像を描かせてくれます。

心に作用するって
見えないからこそ、本当に素敵です。
心が動くんですよね
ぐらぐらとか どきどきとか。

私はそういう見えないもの、信じちゃってます。
たぶん、ずっと信じ続けると思う!

重なりあうところ

落語をききに新宿の末広亭に行くのが
ここ最近のお正月の恒例行事となりました。
上手な噺家さんの話しを聞くと
私の頭の中で自動的にぼんやりと
その噺の映像が浮かんできます。

小説でもしかり。
例えば「ハリーポッター」。
同じ小説を読んだとしても
それぞれが思い描く、
例えば、ハリーだったりホグワーツは
それぞれ違うわけです。




この間、谷川俊太郎さんの文章を読んで
なるほどなーと思ったところがあります。
そちらの文章の抜粋はこちらです。

『ぼくの専門の詩の分野では
 多言語への翻訳は基本的に不可能という前提で
 出発する方がいいと考えています。
 詩ではなくても
 一義的なデジタル言語はともかく
 言語はすべて多義的なもの
 アナログ的なものですから
 その広く深い「含意(connotation)」は
 辞書だけではわかりません。
 でも、実生活や本を通して
 母語を深く経験していくと、
 母語と多言語の含意の重なり合う部分が、
 とらえやすくなると思います。』(抜粋)



なるほど、と思ったのは
言語が違っても重なりあう部分が
あるということです。
文化や言語が違っても
共感できることがあるということです。


私が外国人の方々と話していて
そこが一番面白いことなんですよね。
言葉がわからなくても
同じように感じることが出来る、
一緒に空気を読むひとがいるんですよ、日本人以上に。
ただ、だからといって
それ以外のことも同様に共感できる、というわけでもない。
どうやってもわかってくれないってあるんです。
本当に「どうしようもない」です。
そうしたら しょうがない。
そういう意味で、日本以外の国のことやひとを知ったりするって
日本人とか外国人とか関係なく
「違う」ということをいい意味で割り切るっていうことを
学ばせてもらったなって思います。
実は日本人同士でもそういうこと大切だったりします。
割り切るというとドライな感じがしてしまいますが
素敵な言葉で言いかえれば
お互いを尊重するってことなんだと思います。
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  • 01:24 | Edit
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